見えないものを見る

沖縄の気温21度。風は冷たい。そんな中、隼に乗って、1年のご挨拶(年末詣)をするために神社仏閣へお参りに行った。今年も無事に無事故でトラブルもなく、そして健康で過ごせたこと。そのことへの感謝を伝えに、奥武島の奥武島観音堂へ。

1年の締めくくりというか、ご挨拶のために行く。べつに観音様はそんなこと望んでいないと思うけど、でもぼくは言いたい。感謝したい。ありがとうって、ね。何かしてくれたかはわからないし、してくれたかもしれない。証拠もなければ、示すこともできない。目に見えないことだから、証明するっていうのも難しいことなんだけど、そういうのを見るようにする、感じるようにする、考えるようにするということが、ぼくら日本人にとって当たり前というか、生き方だと思う。

そういえば、バイクだってそう。バイクをただの機械の塊っていう風に思うこともできるけど、物には魂が宿っているというふうに考えれば、バイクにも魂が宿っているわけで。だから、バイクで立ちゴケした時なんかは自然と「ごめんね」と言ってしまう。それは、機械としてではなく、生きている物、魂が宿っている物としての感覚を持っているから。万物には魂が宿っているというこの感覚って、どうやら日本人だけらしい。いやー、日本人でよかった。

神社仏閣へのお参りも、こうした精神からきていると思うけど、見えないものを見ようとするのは、決して努力なんかではなく、普段の日常に溶け込んだ生活の一部なんです。だから、自然とお参りするし、足がむいてしまう。感謝!

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