カテゴリー: Rider’s note

RYUKYU RIDERのブログ

  • だから、1型隼

    ぼくは、一度、隼を手放した。けれど、それに後悔して同じ型の隼を購入した。数多あるバイクの中で、また1型隼を選んだのは、電装制御が少ないとか、ABSがついていないとか、ライディングモードがついていなくてバイクらしさを味わえるという理由もあるけれど、いちばんの理由は、ただただカッコイイから。カウルのデザイン、そのデカさ、「隼」という文字。その何もかもがカッコイイ。それに加えて、世界最速というギネスに載った経歴。この他のバイクにない唯一無二の存在である隼が好きなのです。

    だから、1型隼が荒々しくても、たまにゆーこと聞かなくても、ぼくに優しくなくても 1型の隼が好き。2型でもなく3型でもなく1型の隼。ここ大事。これが必要。

    まぁ、1型の隼はもう20年以上も前のバイクだから、古いし、旧車に分類されると思うし、乗り心地やスペックは最新のバイクには勝てないけど、逆に、旧車にしか味わえないものがある。何でもかんでも引っ付けて、「ある」ように見えるのは、実際は「ない」ことの方が多いんじゃないかなあ。もし、ぼくと同じようにこの部分に惹かれるならば、あなたは多分、旧車に向いているかもしれないね。

  • バイク乗りはミニマリスト?

    年の瀬、大掃除をした。主に家の中をしたんだけど、去年よりも早めに終わった気がする。いや、年々、早めに終わっている。これは、たぶん、持つものが少なくなったおかげかも。

    バイクに乗るようになってからは、持つものがバイク寄りになったし、着るものもバイクに合うかどうか、履く靴もバイクに乗れるやつかどうか、持つものもバイクに相性がいいかどうか、そんなものばかり。キャンプするようになってからはキャンプ道具も増えたけど、ブッシュクラフトやサバイバルの知識を学んでからは最小限の道具になった。その分、整理整頓が楽でいい。

    年々、歳をとるから、大掃除は早ければ早いほどよくてね、体力的にもゴミをだす上でも、何かといいことばかり。ぼくは、いつも間にかミニマリストになったみたい。いやー、バイクに乗ると人生変わるというけど、それ本当だよなぁ。あれだけ浪費癖があったぼくでも、ミニマリズムで生きているんだから。

    それにしても、なぜ、人は年の瀬に大掃除するんだろうか。今年ばかりは、そんなことを考えながら大掃除をやってた。もしかして、やらなくてもいいのでは? と怠心が芽生えながら、今は、こうしてブログを書いています。なので、来年は、大掃除やらないかも。その時、また何かに気づくんだろうか。これも、ミニマリストなのだろうか。

  • ディアゴスティーニの隼

    もう、3年くらい経つかなぁ、ディアゴスティーニの隼が部屋に来てからは。買った当初は「作るぞ!」と意気込んでいたけど、いざ手にいれてみると手付かずのまま。なんか、読みたい本を買ったけど、いざ買ってみたら本棚にしまったまま・・・なんていうのと似ていると思った。

    これではいかん。「今年こそはディアゴスティーニの隼を絶対に作る!」とこれまた意気込んだこと2025年の初め頃。いまだ手付かず。さて、どうしよう。

    ディアゴスティーニの隼はパーツが80点ほどある。80箱というのか。うん、ちょっと多い。これプラモデルというより、隼を製造しているみたいな感じ。まあ、実際はもっと多くの作業があると思うけど、でも、プラモデルしか作ったことのない人間からしたら、やっぱり多い。

    80箱をちょっとだけ頭で計算してみた。15分に1箱できるとして1時間で4箱。であれば10時間でようやく40箱。まだ、完成には至らない。じゃ、20時間の作業をしたらどうかというと、それでようやく80箱に到達する。休憩なし。完全なブラック作業をしての話。そこで視点を変えてみる。

    これを一気に、ぶっ通しで作る模様を撮影したらどうなるのだろうか。80箱のパーツは、完成するのにいったい何時間かかるのか。なんか面白そうだよね。

    ディアゴスティーニの隼
    ディアゴスティーニの隼
    ディアゴスティーニの隼

  • 見えないものを見る

    沖縄の気温21度。風は冷たい。そんな中、隼に乗って、1年のご挨拶(年末詣)をするために神社仏閣へお参りに行った。今年も無事に無事故でトラブルもなく、そして健康で過ごせたこと。そのことへの感謝を伝えに、奥武島の奥武島観音堂へ。

    1年の締めくくりというか、ご挨拶のために行く。べつに観音様はそんなこと望んでいないと思うけど、でもぼくは言いたい。感謝したい。ありがとうって、ね。何かしてくれたかはわからないし、してくれたかもしれない。証拠もなければ、示すこともできない。目に見えないことだから、証明するっていうのも難しいことなんだけど、そういうのを見るようにする、感じるようにする、考えるようにするということが、ぼくら日本人にとって当たり前というか、生き方だと思う。

    そういえば、バイクだってそう。バイクをただの機械の塊っていう風に思うこともできるけど、物には魂が宿っているというふうに考えれば、バイクにも魂が宿っているわけで。だから、バイクで立ちゴケした時なんかは自然と「ごめんね」と言ってしまう。それは、機械としてではなく、生きている物、魂が宿っている物としての感覚を持っているから。万物には魂が宿っているというこの感覚って、どうやら日本人だけらしい。いやー、日本人でよかった。

    神社仏閣へのお参りも、こうした精神からきていると思うけど、見えないものを見ようとするのは、決して努力なんかではなく、普段の日常に溶け込んだ生活の一部なんです。だから、自然とお参りするし、足がむいてしまう。感謝!

    いつも、このブログをみてくれてありがとうございます。

  • 隼を純正で乗る理由

    ぼくが乗っているバイクはGSX1300R隼。1型で初期型と呼ばれてるもの。その中でもちょっとだけ後期にあたる2006年式で、もう19年も前のバイクになる。そんな隼を、ほぼ純正を維持したまま乗っている。

    理由はシンプルで、純正パーツが何かとバランスがいいから。調和が取れているし、壊れにくく、チューニングの必要がない。まぁ、昔のバイクだから、昔ながらの調整が必要なときもあるけど、でも、そんなにない。

    メーカーであるスズキは、隼を開発するまでに何千何万回のテストを行ったはず。エンジンも空気力学も年月を重ねて研究し、ただ、いいバイクを作りたいという想いだけで開発してきたはず。ぼくは、そんな開発者たちの熱い魂がこもった隼に敬意を称したい。そのための純正のまま、原型のままで乗ることを大切にしている。

    カスタムが悪いというわけではなく、隼とどう向き合って、どう生きるかということ。ただ、それだけのこと。